震災から1年が経ちました。
被災地の方々は今も苦労されています。
テレビを通じて認識することしか出来ませんが
生活の中で被災された方々を意識することを忘れてはいません。
記憶は薄れていくものです。
でも、あの震災の忌まわしい記憶は いつまでも心に留めておきたい。
3.11の地震直後、僕はテレビにかじりついていた。
16時に用事があったのでちょっと早めに家を出ようと、まさに靴を履こうとする直前の揺れだった。
2回目の揺れで「とんでもないことが起こっている」と感じた。
東北の様子が伝わってくるが地震そのもので街が倒壊していなかったことからも
少しの安心感があった。
「津波警報」の意味を普段の警報と同程度にしかとらえられなかった人も多いと思う。
NHKでは沖合の津波をヘリコプターから中継していた。
津波は白い線となって海面を走る。
その時点ではそれほど高い波だとは感じなかった。
地震発生から1時間後だろうか。
僕らは生まれて初めて津波の恐怖を見せつけられることになる。
軽々と押し流されていく建物。
右往左往しながら逃げ惑う車に容赦なく襲いかかる津波。
飲み込まれていく車には人が乗っているのだ。
命が飲み込まれていく瞬間を見せつけられ、
そのハリウッド映画のような映像に「一体これはなんなんだ?」とただただ唖然としていた。
海と化した仙台空港には飛行機が浮かんでいた。
繰り返し流れる緊急地震速報の不安を掻き立てるあのメロディーに心拍数が上がる。
止まることのない余震。
千葉ではコンビナートが火を噴きあげていた。
都内何か所かでも建物に被害があった。
2度目の震源地である茨城も大混乱していた。
関東の交通は全てストップ。
夜、帰宅困難者で埋め尽くされた東京の道路。
緊急避難所が都内各所で設けられた。
被災地の夜。
テレビクルーの手持ちの照明が照らしたものは やはり暗闇だった。
毛布にくるまって暗闇で声をかけあっている人達。
高台から映した海面は火を浮かべていた。
その不思議な光景は 闇を照らす篝火のように見えた。
ニュースで読み上げられる死傷者の数は連日増えていく。
「お父さんの安否がわからない」と避難所を転々と歩く子供。
自衛隊の救助活動を見守りながらも
「僕らに何が出来るのだろう」と自分を責めるように自問自答し始める若者も日に日に増え、
ツイッターには善意と不安が溢れ、
街には「不謹慎」という言葉が飛び交った。
収まることことのない余震の中、
誰もが「明日はどうなっているのだろう」と感じながらも
じっと耐えるようにただただ身を固くして過ごしていたと思います。
あの日の記憶は少しずつ薄れていくのかもしれません。
今は出来るだけ1つ1つの記憶をしっかりと留めておきたいと思います。
自分の生活の中で「震災」を強く実感をしたのは計画停電でしょうか。
何もかも奪われた被災地での苦しい生活に比べれば蚊に刺された程度のことだと思いますが
今から思えば 街中から全ての電気が消えたあの時間は
復興を願うために僕らに与えられた祈りの時間のように感じられます。
計画停電。
電車も止まり身動きが取れなくなる。
街灯も信号機も消えた街はまさに闇。
女性にとっては帰り道はとても恐怖だったと思う。
駅には人が溢れかえり、ゆっくりと走り去る車のヘッドライトがとにかくまぶしく、
見上げた空に浮かぶ星がこんなにも明るかったことを気づかされた出来事だった。
1日に2回の計画停電は生活や活動に大きく影響した。
家にいてもは部屋は真っ暗で当然テレビもつかない。
コンビニもデパートもお店は全て閉店になる。
当然、デパートのように多くの従業員によって成り立っているお店は
停電の時間だけ閉店と言うわけにはいかず、
おのずと早めに店を閉め、停電終了後にも店が開くことはない。
この生活が2ヶ月も続けば小さな個人商店などは簡単に潰れるのではないか、
東京で実施しないことについて色々な憶測が飛び交ったが、
朝方の1時間だけでも実施すれば近県の負担がかなり減るのではないか、と強く感じた。
私が住む神奈川県ではこのような生活が確か1ヶ月ほど続いたわけですが
「もう少し工夫出来るのではないか」「本当にこのやり方しかないのか」と
東電に対する不信感が湧き始めたのもこの頃からである。
震災から日が経つにつれ 東電の対応のずさんさが明らかになりただ呆れるばかり。
地震、津波、そして遂には原発メトロダウンに発展するわけだが
被災地の苦しみを思う感情とは別に
東電幹部に対して冷静ではいられないほどの感情が自分の内側を掻きまわし
難癖の1つもつけたくなっていたのも事実で
怒りにも似た感情が芽生えていたのも正直なところだ。
計画停電によって節電意識を更に強めたことは良かったと感じている。
本来、復興が進まない被災地を思えば、計画停電に協力することくらいは当たり前のことなのだ。
~~~愛を灯すんだ~~~
震災から3~4日後、
テレビである男性のインタビューを見た。
土手に座って遠くを見ながら「妻を助けられなかった。手を離してしまった」と応えていた。
感情的になっているわけでもなく
ただ遠くを見ながら、全てを諦めきったようなその表情にとても胸を打たれた。
「この悲しみを受けていたのは本当は僕だったかもしれない」と思えた。
それを伝えなければと思った。
すごい勢いで詞を書いた。
頭の中では曲が追いかけてくるように鳴っていた。
速いテンポの曲だった。
なかなかない体験だが 曲と詞の同時進行という作り方はよくあるが、
言葉を書いた1秒後に曲が勝手についてくるというような感覚で
こんなことは初めてかもしれない。
こうして出来た「愛を灯すんだ」の詞を いいくぼさおりにメールで渡した。
するとすぐに「曲がつきました」と返事がきた。
本当は曲は別についていたのだが
メールに添付されていたデモ音源を聴くと
優しく、重く、まるで心のざわつきを鎮めるような、
とても心に響く曲だった。
翌日スタジオで撮影をした。
あのインタビューをうけていた男性に届けたいと思いがとても強かった。
Youtubeにアップしたことろで被災地では満足にパソコンを見ることも出来ないだろうけど、
とにかく届けたいという想いが強かった。
「愛を灯すんだ」
波がさらったのは 大切な人
その手を離してしまったと うつむく人がいた
泣いちゃダメだと 今は誰も言わない
みんなの代わりに 背負ってる
世界の代わりに 傷ついている
だから今 繋ぐんだ 心に種を植えるんだ
怖いのは僕も同じだ 暗闇に愛を灯すんだ
神様がわからない こんな悲しみ
今まで見たことがないと 震える人がいる
そばにいたいと きっとみんな思ってる
僕らは何も背負えないけど
心はいつも 共にあろう
荒れ果てたこの街に 小さな産声 響くんだ
願いは誰もが同じだ 笑顔は必ず戻るんだ
だから今 繋ぐんだ 心に花を咲かすんだ
怖いのは僕も同じだ 暗闇に愛を灯すんだ
希望の産声 灯すんだ
ツアーで各地に行くと「街って明るいなあ」と感じることがある。
西の街には震災前の東京の明るさがある。
長浜のようなひっそりとした街でもとても明るく感じる。
震災前は無駄に明るかった。
コンビニも駅も夜道も 震災前はもっと明るかった。
不必要な灯りは消え、今はこの明るさで十分だと感じている。
もっと灯さなければいけない場所があるはずだし
僕らが本当に灯さなければいけない灯りがあるはずだ。
http://youtu.be/DUiJ94Z2FLs
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